福島を歩いて考えた。「復興の主役は誰なのか?」
みなさん、こんにちは。
地方と都市に二分の一住むという選択
ココトココ事務局です。
2026年9月25日・26日の2日間、宮城大学と兵庫県立大学の合同フィールド調査として、福島第一原子力発電所事故によって大きな影響を受けた福島県双葉地域を訪れました。初日は「東日本大震災・原子力災害伝承館」で展示見学やフィールドワークを行い、語り部の方からお話を伺いました。夜には参加者による交流・ディスカッションを行い、2日目は双葉駅周辺のまち歩き、震災遺構・浪江町立請戸小学校の見学、最後にワークショップを行いました。今回の視察は、非常に多くのことを考えさせられる機会となりました。

※2020年に開館した東日本大震災・原子力災害伝承館
宮城・岩手とは異なる「復興の時間」
現地を歩いてまず感じたのは、これまで見てきた宮城県や岩手県の被災地との違いでした。東日本大震災から15年以上が経過しましたが、双葉町周辺には今なお帰還困難区域があり、解体を待つ住宅なども残されています。もちろん地域によって状況は異なり、単純に比較することはできません。それでも実際に現地を歩くと、宮城や岩手とは「復興の時間の流れ」が大きく異なっているように感じました。その背景には、原発事故による長期間の避難があります。15年以上の間に、避難先で仕事を見つけ、子どもが学校に通い、新しい人間関係や生活を築いてきた人もいます。それだけの時間が経てば、「避難先」はすでに新たな生活の場になります。そのため、高齢となった親だけがふるさとに戻り、家族は避難先に残るケースもあるようです。福島の現実は、道路や建物を整備すれば人が戻り、復興が完了するものではありませんでした。

※除染に伴い発生した土壌や廃棄物等を管理する中間貯蔵施設

※2011年3月12日の避難指示から、いまもそのままに残る車両
原発がもたらした「発展」と「代償」
今回、特に考えさせられたのが、原発と地域との関係です。原発は長年、地域に仕事や雇用を生み出してきました。原発や東京電力に関連する仕事に携わる住民も多く、その雇用によって地域の暮らしや経済が支えられてきた側面があります。一方、福島で発電された電気は、主に首都圏で使われてきました。原発によって雇用が生まれ、人々が地域で暮らし、家族を育てる。その暮らしの積み重ねの中で、祭りや地域行事、近所付き合いといった地域コミュニティも育まれています。しかし、事故が発生すると状況は一変し、長期にわたる避難や人口流出によって、人々の暮らしだけでなく、それまで築かれてきた地域のつながりも大きな影響を受けてしまいました。地域の暮らしを支えてきた原発が、事故によって、その暮らしやコミュニティを大きく変えてしまった。原発が地域にもたらした「発展」と、その「代償」とは何だったのか。現地に立つことで、この問いをより重く感じました。
原発事故は、今も続いている
福島第一原発事故は、国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」と評価された事故です。現在も大熊町・双葉町にまたがる中間貯蔵施設には、除染によって発生した大量の除去土壌等が保管されています。法律では、2045年3月までに福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講じることとされていますが、その実現に向けた取り組みは今も続いています。さらに、福島第一原発の廃炉にも長い年月が必要です。地震と津波という自然災害に原発事故が重なり、避難、除染、廃炉、人口流出、地域コミュニティの分断など、その影響は長期にわたっています。今回現地を訪れ、福島第一原発事故は「過去の災害」ではなく、今なお続いている災害なのだと改めて感じました。

※現在、解体中の住宅
請戸小学校から考えた「地域の力」
震災遺構・浪江町立請戸小学校も訪れました。津波によって校舎は大きな被害を受けましたが、児童・教職員は全員無事に避難することができました。
※詳しくは、震災遺構 浪江町立請戸小学校をご覧ください。
https://namie-ukedo.com/
請戸小学校を訪れて改めて考えたのが、平時からの備えと地域コミュニティの大切さです。避難訓練や防災教育はもちろん、祭りや地域行事、日頃の近所付き合いなどを通して、普段から住民同士が顔の見える関係をつくっておくことは、いざというときの助け合いにつながります。災害時に突然、地域の力が生まれるわけではありません。日々の暮らしの中で培われたつながりが、災害時の「地域の力」になるのだと思います。しかし、ここで先ほどの「原発がもたらした発展と代償」という問いに再び戻ります。地域コミュニティを維持するためには、そこに人が住み続けられる仕事や生活基盤が必要です。原発立地地域では、原発関連の雇用もその生活基盤の一つとなり、人々の暮らしを支えてきました。その暮らしの中で地域のつながりが育まれ、それが災害時には人々を支える力にもなっていたのだと思います。ところが、原発事故によって長期避難を余儀なくされ、人々が地域を離れたことで、そのコミュニティそのものが大きく分断されることになりました。地域を支えてきたものが、事故によって地域のつながりを失わせる要因にもなってしまった。請戸小学校で「地域の力」の大切さを感じたからこそ、その地域の力を支えてきた生活基盤と原発との関係についても、改めて考えさせられました。ここに、福島が抱える複雑さの一つがあるように思います。

※請戸小学校の奇跡の避難
「復興の主役は誰なのか?」
今回の視察を通して、最も心に残ったのが、「復興の主役は、いったい誰なのか?」という問いです。復興には、住民、自治体、国、東京電力、地域の事業者など、さまざまな立場の人や組織が関わっています。さらに、エネルギー政策、除染、廃炉、地域経済など、多くの課題が複雑に絡み合っています。だからこそ、「被災した人たちの思いや暮らしは、復興の中でどこまで中心に置かれているのだろうか」と考えさせられました。簡単に答えを出せる問いではありません。しかし、復興について考えるときに、忘れてはいけない視点だと思います。福島第一原発事故から15年以上が経過しても、帰還困難区域が残り、中間貯蔵や廃炉などの課題が続いています。福島を「過去の災害」として終わらせてはいけない。今回、現地で見たこと、聞いたこと、感じたことを、これからの防災や地域づくりに生かしていきたいと思います。そして、今後も、福島の風景と「復興」がどのように変わったのか、自分の目で確かめたいと思いました。

※2日間の最後の振り返りの様子。学生の皆さんは真剣に取り組んでいました。
ご相談、質問などございましたら
「ココトココ」事務局までご相談ください。
「二拠点」経験者が、お話を伺います。
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